自己破産への驚きと期待
ライシャワーは宣教師の子として日本で生まれ日本である時期教育を受けたこともあって、日本人の心性をもっともよく理解している人物の一人といわれた。
そのライシャワーのこのような尊厳死は口本人にも身近に映り、そのため日本の尊厳死運動にも影響を与えた。
日本尊厳死協会の会員はこれを機に増加のカーブをえがく。
だがライシャワーのような精神的強さまで真似ているかといえば疑問なのである。
もうひとつ、日本の尊厳死運動に影響を与えたのは、昭和天皇の死である。
昭和天皇の死昭和天皇の病名はすい臓がんであった。
侍医団はこの病名を天皇には伝えなかった。
現在では、天皇も内心では病名を理解していたと推測されているが、とにかく侍医団はその病名を伏せたまま治療にあたった。
昭和六十三年秋に、昭和天皇の容態は悪化していったが、それ以後は連日なんども天皇の脈拍や血圧などがテレビや新聞で伝えられた。
当時はそれが天気予報とか時刻案内と同様に定期的に報じられたのである。
こういう状態がつづけば、誰もが天皇はがん末期患者であり、侍医団は必死に延命をつづけていると理解できる。
医療に携わっている者には、天皇の容態は辛うじて人工延命装置で支えられているというのは常識になっていた。
この報道に比例して、日本尊厳死協会の会員がふえていった。
自分の場合はこのような医療は欲しないというのである。
天皇の病状報道では尊厳死という語が表向きにはならなかったが、誰もが頭に浮かべた語でもあった。
一日一日、尊厳死というイメージが実体化されていったのだ。
このようなかたちで理解が広まることは一概に否定すべきことではない。
だが、自分はあのような医療は拒むというだけで、尊厳死を望んでも、尊厳死の思想を理解したことにはならない。
すでに尊厳死活動を進めていた人たちは、天皇の病状報道では「告知のあり方」に思いをめぐらしていた。
侍医団が告知をしなかったことへの率直な疑問である。
侍医団から発表される病状はがんであることが明らかであり、それは日本だけでなく外国でも知られているのに、天皇自身だけが知らないのはおかしいというのであった。
侍医団と昭和天皇の関係を、医師と患者関係におきかえてみれば、これまで日本の医療現場で行なわれている構図がそのままあてはまった。
医師は患者に告知をしない。
代わって家族(この場合は当時の皇太子)に症状を伝え、その治療方法を説明している。
そして最後まで延命に努力することがお互いの間で確認されたという。
だが尊厳死容認の側からいえば、これは医師と患者の関係が良好なコミュニケーションによって成りたっているとはいえないケースだという。
良好なコミュニケーションの中で告知を行なってこそ、初めて、ではどのように延命や生きる内容を考えるかという患者自身の「尊厳」が生まれてくるというのだ。
もし昭利天皇に「がんの告知」を行なっていたら、天皇がどのような意思表示をしたかは不明である。
医学的な処置について何らかの意思を伝えたかもしれないし、それとは別に歴史的、国家的な意思を表明したかもしれない。
私自身は、昭和天皇には語っておきたいことが幾つかあったと推測している。
その機会が失われてしまったことが、むしろ問題ではないかと思うのだ。
尊厳死を肯定する論者は、もし尊厳死が社会に広く定着していたならば、天皇の末期医療はもっと異なったかたちをとっていたであろうと残念がる。
だがそのようなかたちをとりえなかったこと、そこに日本の末期医療のとまどいが露呈していたというのであった。
ことにはなるが、真に尊厳死を詰めて理解していないともいえる。
そこには尊厳死にとって、もっとも基本的な安岡になっている(個人の死生観)はなく、群れていれば死も怖くないという日本的なムードの中での尊厳死願望を生んだように思える。
それは本来の意味からは外れているのではないか。
尊厳死は、「死」の規定をどう受けとめるかという点を抜きに語ることはできない。
現在の医学では、肉体的な死は心臓死を軸にして成りたっている。
ふつう「心臓死の三徴候」といわれるが、それは次の三点だ。
0心拍停止口呼吸停止、」日瞳孔散大、対光反射消失これによって脳の機能も消失したと判断し、死の判定がなされる。
心拍停止は確実に脳や肺などの機能停止に至るため.に、これがもっとも重視されてきた。
心拍停止は今後も要件として守られるだろう。
一方で、脳死と臓器移植論争が活発になるにつれ、脳死の要件が正面きって論じられることになり、死の概念も変わりつつある。
現在では、生命維持装置によって、たとえ脳が死んでも呼吸や血液の循環など脳以外の機能を人為的に維持できる。
そのような人為的な生命維持に対して、脳の死をもって「死」と判定しようというのが脳死の意味である。
むろん現在の法体系のもとでは心臓死しか認めていない。
尊厳死とは脳死の段階で人工延命装置の取り外しを認めることでもある。
しかし、尊厳死を論ずる識者の中には、このような生物学的な死のほかに、「人格的生命の死」も含まれているといって、脳死を死と認める尊厳死には危険な面と評価すべき面があると説く論者もいる。
人格的な死とは、大まかにいって次のようなことだ。
「人間は精神活動をする自我意識をもった人間である。
精神的、人格的活動が肉体の中で不可逆的になったとき、人間は死んだといえる。
精神的活動の可能性が初めからないような生命は、それは人間としては初めから死んでいたのである。
たとえ生きていてもそれは生物段階での生命で、人間ではなく生ける屍である。
このような肉体の致死は人間の致死にはならない」こういう考えは、人間の生命の尊厳が「人格」にあることを改めて教えてくれる。
単なる動物的生命体が存在することで、逆に人間は自意識をもった存在であることを確認させられるというのだ。
さらに、人間生命の有限を明確に示している点で、人間の言動には倫理的判断があると示してくれるというわけだ。
だが、尊厳死思想でいう人格的生命という価値基準はきわめて曖昧である、とも指摘する。
宮川はこうした思想を次のように前書で批判している。
「尊厳死思想の根本的誤りは、実践的判断において、人間生命の価値と尊厳にふさわしい尊重と敬意を払わず、軽率に人命を取扱う行為を倫理的に正当祝しょうとしているということに落ち着くといえよう」この批判は、哲学、倫理の世界からの問いかけである。
ありていにいって、尊厳死を肯定する側には、ここで指摘されているような姿勢がないとはいえない。
実際、私は尊厳死を積極的に容認している人たちに取材をつづけていて、そのような疑問をもつことがあった。
生命の尊厳という抽象語が、実にあっさりと語られる。
「死の権利」が特定の倫理で主張される。
たとえば、六十代の女性が、夫や母を看取ったときのすさまじいまでの末期の様子を涙ながらに語った。
だが彼女がそのような状況を見たといっても、「生命の尊厳が脅かされていることに腹が立った。
もう治療はやめてほしいといっても医師には聞いてもらえなかった」という怒りの根拠にはならない。
自らのその体験が、尊厳死を普遍的に肯定するという論理にまで高まり、それが生命の尊厳を守るということにつながるとは私には思えない。
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